昔・・・むかしの原動力

昨日は 締め切り間近で、ブログなんとか更新出来てよかったなぁ。継続はプチ力なりです。ところでジオターゲティングのシステムすごいですね、どこの県の人がホームページ見てくれているかが分かるのだから・・びっくりするし、開発者の努力と能力に敬意を。この真穴同志会の知名度の輪が広がること、いつか、日本地図が真穴色に染まることがやりがいに繋がるだろう。頑張るぞ!!推側ですが・・長崎に黄色が点灯している、きっと 西海味っこ研究会の皆さんが見てくれたのだと 梅ちゃんは思うんですが、また 視察の際は ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。

 

昨日のバーべキュで荷物を運搬するのにリヤカーが大活躍。真穴でもみかんの運搬用として活躍していた昭和30年代、農道が整備されはじめた頃から導入されたみたいです。農道は勾配があるため、帰りは坂道、荷を積んでるから、スピードがでるので、棒をかまして ブレーキをかけていたみたいですよ。先人の知恵ですよね。それから、ダイハツミゼット三輪車が入り、機械化されたのです。

今、物が溢れ、豊かになり便利になったけど、その当時の苦労を忘れてはいけないと思うし、先輩方の努力以上に頑張らないといけませんね。

昭和30年代 映画 ALWAYS 三丁目の夕日の近所付き合いと心豊かな時代、きっと真穴でも展開されていたんでしょうね。今でも 大事に使っているリヤカーを見て、ふと 思いにふける梅ちゃんでした。

決して酔っ払って リヤカーで搬送されないように 十分気をつけましょう!